2020年3月26日木曜日

下仁田ネギは県民の誇り

こんばんは、こうちゃんです。

群馬県名産の、太くて甘みの濃いネギ、
下仁田ネギは、群馬県の誇りです。



下仁田ネギ(しもにたねぎ)は、ネギの一種。群馬県甘楽郡下仁田町の特産である。

下仁田ネギの由来についてあまり詳しいことは分かっていない。中国西部より我が国北部に入った「加賀」という品種との類似が取りざたされているが、ルーツについてはこれ以上の追跡はできない。
なお、下仁田ネギという名称の名付け親は、牧野富太郎である。オオネブカまたはシモニタネギと命名され、以後市場でもこの名で取引されている。
現在の下仁田ネギの原産地(原種圃)は、旧・西牧村小出屋の佐藤長太郎の畑である。

文化2年11月8日付で「ネギ200本至急送れ、運送代はいくらかかってもよい」という趣旨の、江戸(大名または旗本)から名主に宛てたと思われる手紙が残されており、遅くともこの頃には下仁田ネギが栽培され、珍重されていたことがわかっている。

こんなに素晴らしいネギの味を、江戸の将軍様にも味わってもらおうと、将軍家に献上したこともある。主膳殿でもその味は評判となった。下仁田ネギは別名殿様ネギと呼ばれるのはこのためである。(ネギの中の殿様という意味もある)。

明治4年、東京で開催された万国文化交歓文明輸入博覧会に出品され、名声を得る。
明治6年、ウィーン万国博覧会に国産の絹糸が出品され、それを機に富岡製糸場に関係者が訪れるようになる。関係者へのお歳暮・お土産に利用された。
大正時代、馬山地区に産地が移り、品種改良が進み、この地区は下仁田ネギの主産地となる。
昭和9年(1934年)、一部篤農家による皇室への献上が行われ、また上毛かるたに「ねぎとこんにゃく下仁田名産」と詠まれて知名度が高くなった。これに伴い、群馬県農事試験場が前橋市で栽培してみたがうまくいかなかった。下仁田の土壌を前橋まで持っていってもやはり結果は同じであった。長野県農事試験場でも栽培を試みたが、育ちすぎて葉が硬い棒のようになり、とても食べられたものではなかった。

1975年以降、下仁田ネギの生産の増加は顕著に認められる。背景には、米の生産調整、高級料理店における伝統野菜の需要増加、さらに歳暮としての需要増加がある。

非分蘖性の一本ネギで、俗に白根と呼ぼれる葉鞘部は長さ20 - 25 cm、直径2.5 - 4.5 cmと、太く短い特徴的な形をしている。地上部の葉も濃緑色で太い。このような形・大きさはネギ全体の中でも特異なものである。

耐熱性、耐寒性ともに強く、厳冬期でも地上部は枯れるが地下部が枯死する事はない。また耐旱性も強く、夏の高温期でも障害は少ない。反面、多湿には弱く、特に25℃以上の高温では多湿に対する抵抗力が弱く湿害を受けやすい。

土壌適用性は広いが、下仁田ネギ特有の肉質を持つ、しまりの良いものを生産するためには、礫を多少含んだ粘質土壌であることが一つの条件である。馬山地区の、鏑川・横瀬川・鎌田川に沿ったエリアの土壌は礫を含み、肥沃である。通気性や保水性が良好で、下仁田ネギの栽培に適している。

厚くて噛み応えがあり、甘みが濃いので、お鍋などに人気のネギで、県民の家庭料理にもたくさん使われて、長年愛されております。


こうちゃん

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